狂気と向き合う
わたしが心理士として仕事をスタートしたのは、心療内科のクリニックでした。
その頃の患者さんのうち何人かとは、未だにお付き合いがあります。
もう、クリニックをやめて5年以上経っているのに、未だに折に触れて連絡をもらえるのは、とても嬉しいこと。
今日は、そのおひとりの方が、初めて開催した個展にお招きくださり、訪れてきました。
クリニック勤務中に出会った患者さんによく感じていたことは、彼(彼女)たちの、時にずば抜けた芸術性です。
内界に広がる、独自性が強く豊かな世界観に、魅了されていたことを思い出します。
今回の彼女の個展には、100点以上のセルフィ―(自撮り)の写真が飾られていたのですが、撮り方も、あらわし方も、突き抜けて個性的で、それでいて完成度が高く、なんとも圧巻でした。
見ていると、胸の奥が震えて、涙があふれて止まらなくなりました。
個展でこんなにも胸が震えたのは、初めてでした。
どうしようもなかった生きづらさや、自分の中に渦巻くものに、死ぬような思いで光を当てて写し出した、写真の数々。
中には狂気を思わせるものも多々あり、その狂気が、臆することなく表現されていた部分で、
“真剣に狂気を行為しました”
と、書かれていました。
その狂気じみた部分に強く反応したのは、どこかわたしの中にも、同じものを感じたからだと思います。
そう、きっと狂気は誰の中にもあるし、わたしの中にもある。
でも、わたしはその狂気とちゃんと向き合ってきただろうか。
どこか、世間的な見られ方や常識というものを気にすることで、あたかも無いように見なしたり、受け入れられやすい形に歪めてきてはいなかっただろうか。
彼女の作品を見ながら、そんな風に感じずにはいられなかったと同時に、ここまでまっすぐ、自分の狂気ともいえる部分に向き合い、表現し切った彼女に対して心から尊敬の念を抱きました。
病(やまい)や生きづらさとは、何なのだろうとよく思います。
それらを抱えながら生きている人たちを見ていると、それはつらくしんどいことではあるのかもしれないけれど、決して、ネガティブなものや治すべきものに留まらないものがあると、いつも思うのです。
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