行動した後に自分を責めてしまう
辛さや行き詰り感など、心の絡まりをほどいていく時には、悩んでいる最中の心の動きを細やかに観察しながら、一方では、つまりそこで何が起こっているのかを、俯瞰的に見ていきます。
たとえば、思い切って行動を起こしたり、発言してみたりした後に、「こんなことしない方がよかった」とか、「なんでこんなことをしてしまったんだろう?」と、したことに落ち度や浅はかさがあったのではないかと、自分を責めて、しんどくなってしまうケースがあります。
そして、そんな人は、何かすると、その後に自分を責めるというパターンを繰り返し、それが強力なクセになってしまっていることが少なくありません。
つまり、“行動すること”と“責めること”が、セットになってしまっているのです。
この場合、何をしたとしても、どんなに配慮しても、その人は、行動に踏み出した後に自分を責めてしまいます。
では、その時その人は、行動した自分を責めることで、何をしようとしているのでしょうか。
その手掛かりは、その人自身が自らに、“行動した後に自分を責めなかったらどうなりそうか?”と、問いかけてみること、、見えてくるものがあります。
ネガティブな感情をその人が体験するのにも、ちゃんと理由があります。
もう少し言うと、体験することのメリットがあるのです。
では、行動した後に、自分を責めることのメリットとは、何でしょうか。
これは、人それぞれではありますが、“自分を守るため”であることが、多いように感じます。
ある人は、行動する自分をいつも厳しく監視し見張っていないと、何をしでかすかわからない。
自分を責めることがなくなってしまうと、自制心が効かなくなり、配慮のない行動をしてしまったらどうしよう。
そんな怖れから、行動した自分を責めることで、厳しく制していることがみえてきました。
感情は、実はわたしたちは、極めて意図的に使っているところがあります。
一見、感情に振り回されたり、翻弄されたりしているようでいても。
こんな風に、心を細やかにみていくと、自分を知る手がかりがたくさん見えていきます。
そして、細やかに観察していくことによって、自分の心はよく見渡せるようになり、そこで何が起こっているのかも、見えやすくなっていきます。
心で何が起こっているか見ることができるようになると、自分自身への安心は深まり、“わたしがわたしである”という自己が一致する感覚も、増していきます。
◆Resent Post◆
最近あたりの空気感がみるみる変化していくので、感じていることをできるだけ言葉にしておこうと、お話しています。
◆Sachie’s Selection◆
クリスマスが近づいてきたので、教会音楽を。
バッハのカンタータBWV61、第6曲のコラール“Amen! amen!”
バッハは、“ポリフォニー”と呼ばれる複数の独立した旋律が重なって奏でられる楽曲をたくさん作っていますが、この曲も、各声部の音の重なりと“アーメン”の響きがとても美しい。
1分足らずの短い合唱曲です。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今日も自分とともに過ごしましょうね。
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