上の子のおやすみ
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小学5年生の上の息子が、2週間ちょっと、学校を休んでいた。
これまで、元気に毎日学校に通っていたのに、パタッと行けなくなってしまった。
休みはじめたときは、熱も出て、風邪症状があったのだけれど、
症状がなくなっても微熱と倦怠感が残り、
来る日も来る日も「しんどい」と言って、明らかに普段の元気な様子とは違った様子。
彼のその様子を見て、今回は心理的なものの影響が大きそうだな、と思い、しばらく見守ることにした。
わたしには、上の子について、これまでずっと気がかりだったこと
というか、申し訳ないと思っていたことがあった。
それは何かというと、彼が小さいころに、私が忙しすぎたことだ。
息子が生まれて、本来なら子育てにエネルギーを注ぐべき時に、
わたしは自分の勉強の方にエネルギーを注ぎ、そこからほとんど立ち止まることなく走り続けてきてしまった。
1歳になるとすぐに保育園に預け、勉強と仕事をはじめた。
今でもよく覚えていることがある。
息子が2歳の時に、保育園に預けて大学院生活をはじめた頃のこと。
まだ、おぼつかない言葉で、息子が私に向かって
「おかあさん、いつもがんばっている
おかあさん、いつもいっしょうけんめい」
と言った。
その頃の私は、確かに一生懸命だった。
目の前の仕事や学業が、自分にとってとても大切で、熱を傾けるに値するものだと思っていた。
子どもとの時間を差し置いても。
でも、本当に、そうだったのだろうか。
息子が、お母さんは一生懸命がんばっている、ということを理解してくれているということと
お母さんと長い時間離れていても大丈夫であることとは
全く違うことだ。
上の子は、とても健康で、身の回りのことも勉強も卒なくこなすし、ほんとうに手がかからなかった。
わたしのことをいつも気づかい、助けてくれるような、そんな子供。
でもそれは、息子がそうしたくてしていた、というより、そうせざるを得なかったのではないか。
今になってはっきり思うこと
それは
子どもはお母さんが大好きだし、お母さんと一緒にいたいに決まっているのだ。
だけど当時のわたしは、大好きなお母さんに協力しようという、子どものわたしに対する愛に、甘んじるようなことをしていた。
わたしが余裕なく走っているのを、繊細でやさしい息子は敏感に感じ取り、自分のしんどさや甘えを出せずにきてしまったことを、感じていた。
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最近になってわたしは、自分の活動をかなりスピードダウンさせた。
走り続ける生き方を見直さざるを得ないことが、いくつか起こったからだ。
そして、その中で、息子が彼なりのやり方で、甘えてくるようになった。
夜中に必ず私の布団の中に入ってきて寝るとか、
たくさん話しかけてくる、とか。
息子が体調が悪く始めたのも、きっと、
やっと自分の抱えていたものを、今の私になら出せると、どこかで感じたんじゃないかな、と、思う。
だから、学校に行けなくなってしまった息子を、とにかく温かく見守ることにした。
休んでいるあいだ、息子とたくさんたくさん話をした。
他愛もない話をし、ふたりでごはんをたべて、一緒にゴロゴロしたり。
こんな風に、ゆったりふたりで過ごしたことは、なかったかもしれない。
私にとっても、穏やかで幸せな時間だった。
そして、今日。
念のため受診した先のお医者さんに
「もう、学校行っていいですよ」
と言われたのをきっかけに、
翌日から登校することに、決めた。
気の済むまで安心して休んで、翌日の学校の準備をしている息子の顔は、いつになく晴れやかだった。
もう、きっと、大丈夫。
今日の息子を見ていて、そう感じた。
気づくのが遅かったけれど、でもまだ間に合う。
どこまでも、息子のことを受け止められる母親でありたいな、と、思う。
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