意識が飛ぶ現象
今日は、意識が飛ぶ現象について考えてみたいと思います。
普段の生活の中で、なぜか意識がどこか別のところに行ってしまって、目の前で人が何か言っている言葉を聞き逃していたり、記憶がすっぽり抜け落ちたようになって、覚えていないことがあったりすることはありませんか?
こんな風に、からだはここにいても、意識が不在になることが悩みの種である人が、時々いらっしゃいます。
たとえば、トラウマティックな記憶を抱えている人が、日常でのシーンで、記憶が抜け落ちたように覚えていないことがあり、このような状態を、引き起こす症状を“解離”と呼んだりします。
しかしこれは、どちらかというと、特殊な例といっていいでしょう。
普通の人が意識がどこかへ行ってしまったり、記憶が抜け落ちたりする現象は、一般的には、注意力散漫であると見なされることが多いように思います。
ですが、自分の意識状態や人の意識状態をよくよく観察していると、注意力散漫という言葉には、収まり切らない、“意識が飛ぶ”とか、“意識が不在になる”とも言える意識状態があるように思います。
ここからは、わたしの個人的な見解になりますが、意識は、人という肉体に宿ってはいますが、結構、いろんなところに移動したりもして、また、自分だと思っている意識が、実は他の意識と交わっていることもあったりするように思います。
つまり、意識というのは、一個の人間にゆるぎなくひとつの意識が宿り続けているという、一般的な感覚は、実際は違うのかもしれないということ。
意識とは、突き詰めていくと、とても面白く、不思議なものだなぁと思います。
さて、前置きが長くなりましたが、今日書きたかったこと。
それは、記憶が抜け落ちるとか、意識が不在になってしまうことへの自覚がある人が、自分のことを不注意な人だとか、集中力がないとか、また、人の話をちゃんと聞けない不誠実な人だとか、責めてしまうことがありますが、それは、不誠実だからとか、不注意だからというより、そういう性質だからであって、がんばって直そうとしても難しいということです。
ですから、自分にはそういうところがある人としてそれを受け入れて、それもひとつの個性そして生きていけばいいのだろうと、個人的には思っています。
聞き逃さないようにとか意識をここから逃さないようにと、落ち度のなさを追い求めてしまうと、どうしても緊張してしまい、本来のその人のよさや魅力があらわれ出にくくなってしまいますから。
今日は意識のお話をしてみました。
意識についてはまだまだ考察途中なので、これからも試行錯誤しながら理解していきたいと思っています。
今日はこれから、氏神様のお掃除に行ってきます。
寒いのであたたかくして過ごしましょうね。
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