2026-03-06
神社という場所

神社を訪れると、人間がそこに置き残した”念”を感じることがよくあります。
何かを思うことや感情的になることは、人間にとってごく自然な心の営みです。
ですが、それらが強い執着を伴って濃縮され”念”のようなものになると、破壊力や粘着性を持つようになり、それをこちらが無防備に受け入れてしまうと、ダメージを負ってしまうほどになると感じます。
激しい恨みや憎しみ
強い無念や孤独感
やるせない思い
“どうしてこんなことになってしまったの?”
と、悲痛な叫びのような思いを感じることもあります。
当の本人は、自分の発した想念がそんな事になっているとは、知る由もなかったでしょう。
ただただ苦しくてたまらなくて悲観に暮れ、時に我を見失い、錯乱してしまっている状態でもあっただろうから。
そして、そんなことを感じるたびに、これまで人々が連綿と命を繋ぐ中で、様々な人生で経験してきた深い苦しみや悲しみを思います。
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神社という場所は、ただ単に祈ったり神とつながるだけでなく、そんな凄絶なまでの人間の思いを長い間受け入れてきた場所のようにも感じています。
先日訪れた神社では、境内の御神木に人の強い念を感じました。
とても優しいエネルギーを感じる木で、自分の身を差し出してまで、人間の思いを引き受けて浄化しようとしてくれていたのだと思います。
その懐の深い愛に感動しながら、浄化のお手伝いをさせていただき、お礼をお伝えしました。
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