2023-03-14

上の子のおやすみ

小学5年生の上の息子が、2週間ちょっと、学校を休んでいた。

これまで、元気に毎日学校に通っていたのに、パタッと行けなくなってしまった。

休みはじめたときは、熱も出て、風邪症状があったのだけれど、

症状がなくなっても微熱と倦怠感が残り、

来る日も来る日も「しんどい」と言って、明らかに普段の元気な様子とは違った様子。

彼のその様子を見て、今回は心理的なものの影響が大きそうだな、と思い、しばらく見守ることにした。

わたしには、上の子について、これまでずっと気がかりだったこと

というか、申し訳ないと思っていたことがあった。

それは何かというと、彼が小さいころに、私が忙しすぎたことだ。

息子が生まれて、本来なら子育てにエネルギーを注ぐべき時に、

わたしは自分の勉強の方にエネルギーを注ぎ、そこからほとんど立ち止まることなく走り続けてきてしまった。

1歳になるとすぐに保育園に預け、勉強と仕事をはじめた。

今でもよく覚えていることがある。

息子が2歳の時に、保育園に預けて大学院生活をはじめた頃のこと。

まだ、おぼつかない言葉で、息子が私に向かって

「おかあさん、いつもがんばっている

 おかあさん、いつもいっしょうけんめい」

と言った。

その頃の私は、確かに一生懸命だった。

目の前の仕事や学業が、自分にとってとても大切で、熱を傾けるに値するものだと思っていた。

子どもとの時間を差し置いても。

でも、本当に、そうだったのだろうか。

息子が、お母さんは一生懸命がんばっている、ということを理解してくれているということと

お母さんと長い時間離れていても大丈夫であることとは

全く違うことだ。

上の子は、とても健康で、身の回りのことも勉強も卒なくこなすし、ほんとうに手がかからなかった。

わたしのことをいつも気づかい、助けてくれるような、そんな子供。

でもそれは、息子がそうしたくてしていた、というより、そうせざるを得なかったのではないか。

今になってはっきり思うこと

それは

子どもはお母さんが大好きだし、お母さんと一緒にいたいに決まっているのだ。

だけど当時のわたしは、大好きなお母さんに協力しようという、子どものわたしに対する愛に、甘んじるようなことをしていた。

わたしが余裕なく走っているのを、繊細でやさしい息子は敏感に感じ取り、自分のしんどさや甘えを出せずにきてしまったことを、感じていた。

****

最近になってわたしは、自分の活動をかなりスピードダウンさせた。

走り続ける生き方を見直さざるを得ないことが、いくつか起こったからだ。

そして、その中で、息子が彼なりのやり方で、甘えてくるようになった。

夜中に必ず私の布団の中に入ってきて寝るとか、

たくさん話しかけてくる、とか。

息子が体調が悪く始めたのも、きっと、

やっと自分の抱えていたものを、今の私になら出せると、どこかで感じたんじゃないかな、と、思う。

だから、学校に行けなくなってしまった息子を、とにかく温かく見守ることにした。

休んでいるあいだ、息子とたくさんたくさん話をした。

他愛もない話をし、ふたりでごはんをたべて、一緒にゴロゴロしたり。

こんな風に、ゆったりふたりで過ごしたことは、なかったかもしれない。

私にとっても、穏やかで幸せな時間だった。

そして、今日。

念のため受診した先のお医者さんに

「もう、学校行っていいですよ」

と言われたのをきっかけに、

翌日から登校することに、決めた。

気の済むまで安心して休んで、翌日の学校の準備をしている息子の顔は、いつになく晴れやかだった。

もう、きっと、大丈夫。

今日の息子を見ていて、そう感じた。

気づくのが遅かったけれど、でもまだ間に合う。

どこまでも、息子のことを受け止められる母親でありたいな、と、思う。

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