限界に気づく瞬間は、可能性に気づく瞬間
この春から週に1度、京都大学大学院人間環境学研究科の “共生社会論” という講義に出席させてもらい、そこで学ばせてもらっています。
実はこの授業、6年前の2017年にも通年で通わせてもらっていたので、今回は2回目の聴講になります。
この講義を担当されている広井良典先生のご専門は科学哲学、つまり、”科学”という概念や枠組み自体を俯瞰して哲学していく学問。
先生はまた、人類史から公共政策、身体性や死生観まで幅広い見識をお持ちで、これまで実際に政策に携わったり数々の著書を出されたりと、言うまでもなく素晴らしい方。
にもかかわらずとても気さくでいつも話しかけてくださり、どんな意見を言っても面白がっておおらかに受け止めてくださるので、わたしも牧場で放し飼いにされているような(笑)自由な感覚で参加させていただいています。
中でも特に、この講義で私が惹かれるのは、学生が自身の見解をレポートで提出して講義中に発表させてもらえる機会があること。
毎回広井先生が選定された課題図書が与えられ、それについて自分の考えをアウトプットすると、それを広井先生が受け止めて考察し、議論の中に組み込んでくださるのです。
前回参加させてもらったときは、ちょうど死生観について自分なりの答えを必死に求めていた頃。
1年かけてたくさん考えさせてもらい、自分の死生観を大いに練らせてもらいました。
おかげで、その年は自分の世界観が飛躍的にアップデートされる機会が訪れ、わたしにとっては”思考のビックバン”が起こった年でした。
今回再び、先生の講義を受けさせてもらっているのは、自分の枠を広げるタイミングだな、と思ったから。
これまで枠組みの中でやっていくには、ある限界を迎えているような気がして、もっと大きなマクロの視点からいろいろなものを捉える視点を持ちたい、と思ったのです。
そしてその中で、自分がどういう風に生きていくかを、たくさん自分を練って、生き方の土台を固めたい。
そんな風に思って、出席させてもらっています。
広井先生の授業には、京都大学大学院の院生さんをはじめ、他の大学の学生さんや社会人の方々も参加されていて、専門も公共政策や社会疫学、人類学、哲学、史学など様々な分野で研究・実践をしている人たちが集まります。
そして、学生さんはじめみなさん、聡明でものすごく知識が豊富な上に、それをもとに独自の考え方をしっかり持っているので、ディスカッションがとても面白い。
全然知らない人物や用語が出てきてついていけないこともあるのですが、自分の専門の中だけにいると絶対に得られないような視点が、ぱっとひらけていきます。
今日も、講義出席して、これまで自分が想像もしなかったような視界がひらけ、少しこれからの自分の方向性のヒントが、見えた気がしました。
「そうか、そういう視点から見る、というやり方があったのか!」
と、目から鱗がおちるような感覚です。
面白いもので、自分の考えの範疇を超えたものに出会ったとき、はじめてそこに”限界という壁”があったことに気づくもの。
それまでは、そこにそんな壁があったなんて、意識もしていなかったのに。
だから、限界に気づく瞬間は、その向こうに広がる可能性に気づく瞬間でもある。
こんな瞬間は、わたしにとってとても楽しい時間でもあります。
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